犬山城
別名 白帝城 | 付近住所 愛知県犬山市犬山北古券65-2 | 現在- |
2011/8/29 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
織田信康→ 織田信清→ 池田恒興→ 織田勝長→ 中川定成→ 池田恒興→ 加藤泰景→ 武田清利→ 三輪五郎右衛門→ 石川光吉→ 小笠原吉次 佐倉藩へ→ 平岩親吉→ 栗原藩より 成瀬家 成正→正虎→ 正親→正幸→ 正泰→正典→ 正寿→正住→ 正肥・・・・ |
犬山城は天文6年(1537)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。 戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。 小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。 江戸時代になり、尾張藩の付家老、成田隼人正正成が元和4年(1618年)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。明治4年(1871年)9代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。 明治24年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊されましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。 その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和36年(1961年)から40年まで4年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは24メートルです。 国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城の四城のなかでも、最も古い城であります。 平成16年4月、財団法人、犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。 |